「お米には七人の神さま」教
流しに、ちょっと多くて残してしまった昨晩のご飯が、茶碗に入ったままで放置されている。 蛇口をひねればジャーと水が出る。とりあえず茶碗たぷたぷまで溜めよう。 これから渋谷にでも行って買い物、食事。カフェで読書するのもいい。 ガチャンとドアを閉める。
ただいまーという声は空を切る。
流しの中の、水色が目に入る。米が、浮かんでいる。水色のまるいプールの中で、プカプカと。
じつにのん気なようすだ。
床にはパンパンに膨れた黄色いゴミ袋。不燃、プラ、紙…プラ。隣の白いビニール袋からこぼれている物をひとつずつ拾いながら、頭の中で唱える。
さて。
ひといきにプールのへりをつかんだ巨人の手が、ぐわりとプールをひっくり返す。転覆。大洪水。ノアの方舟に乗り遅れた彼らは、早々と自らの運命を受け入れてすぅーっと流れ出ていく。
あらがう者はひとりとしておらず、みな安らかに目を瞑る。祈りと共に、あるいは来世を想い。
彼らはとうに知っていたのだ。すべてを。
涼しく静かな水の中を泳ぎながら、悟ったのだ。
神の存在を信じてもいない人間が、このときばかりは神を思うということも。
だから彼らは優雅に流れる。微笑みながら。
人間の孤独とくだらなさをギャグにする宗教の、彼らは教祖だから。
大きな手をした巨人の、そのまた大きい顔が見える。すこし哀しげな目と、固く結んだ口元。
しかしうっすらと、笑っているようだ。