それに触れた
一度だけ、遺書を見たことがある。
「ありがとう」という文字だけが、なんとなくポカンと浮かんでいた。私は、その人がありがとうと言うところをどうしても思い出せなかった。
「ありがとう」というその声を。
小学生のとき、学校から帰るとその人は玄関先の長椅子に座っていた。たまに猫も一緒にいた。
なんということはなく、ただまっすぐに前を見ていた。うちは急な坂道を登ったところに建っていたから、たぶん、真下に広がる田んぼやポツポツ通る車たちのすべてをその人は見ていたんだと思う。
もちろん、小さな私のことも。
その人はいつも「おかえり」と言ってくれた。
中学生になって、私は、あるとき机の中に手を入れた瞬間にカサッという感触に出会った。
ん?と思って取り出してみると、ルーズリーフの切れ端が折りたたまれている。ドキッとした。不思議な高揚感だった。思わず教室じゅうを見渡したけれど、みんな何も考えていないような顔で給食を配膳したり机を動かしたりしていた。
指先で、ゆっくりとひらいた。
私の名前を呼びかけてから始まるその文は、差出人の名前が書かれることなく終わっていた。内容はクエスチョンマークで終わる、質問だった。でも私は答える必要がないと思ったし、誰に答えればいいのかもわからなかった。yesかnoで答えられる質問だったけれど、私は、答えるとしてもどちらかに決めることができなかったと思う。
手のひらで、すばやく握りしめた。グシャッと潰れて縮んでいく紙の感触が少し痛かった。また机の中にそれを戻す。差出人の丁寧な字と、折りたたまれた線の几帳面さが、生々しく、いつまでも机の中に残っていて温かかった。
その1年後の夏に、猫が死んでしまった。
いまわのきわには姿を消すという話をよく聞くけれど、うちの猫はずっといた。
とても暑い日で、その日までの1週間か2週間もずっと暑かった。硬い地面に敷いた薄い布の上に、じっと横たわって目もうつろで、前脚も後ろ脚もピンとまっすぐ伸ばしたまま過ごしていた。本当にたまに、かすかに鳴いた。
細い体は鋭い日差しの陰で静かにかたくなり、つめたくなり、うごかなくなった。白濁したビー玉の目と、呼ばれたかのようにやって来た小さな小さな虫たちの群れだけがそこにあった。
こんなにも変わってしまうのか。
生きている者は、声を失って、温度を失って、形を失って、もはや別のものになってしまう。
猫ではなくなってしまったその体に触れて、私はもし猫が何か思ったり考えたりしたことがあったとしても、もうそれはここにはないような気がしていた。